枝垂桜で知られる京都のお寺、本満寺は夏もおすすめ。
- tripampersand
- 2016年7月19日
- 読了時間: 3分
寺町通りに立ち並ぶお寺のひとつに本満寺があります。京都のお寺はどこも歴史がありますが、本満寺も建立から600年。そんなお寺が住宅街の一画に、ごく当たり前のように建っています。

以前は「知る人ぞ知る桜の名所」だったのことですが、今ではすっかり有名になって、季節には多くの(俄か)カメラマンの姿が見られるそうです。
夏の桜は心休まる癒しのスポット
境内に入ってまず目に入るのが、左手側、庫裡の前に立つ枝垂桜。もちろん、夏のこの季節、花が咲いているわけではありません。それでも、思わず見入ってしまうほど、圧巻の存在感です。

庫裡を完全に覆い隠そうとするかのように、高く伸びた幹の天辺からしな垂れる枝。青々とした葉に覆われたその枝は地面に届いています。
木の根元まで近づくと、視界は緑のカーテンに覆われて、まるでこの桜の木にすっぽり包まれているような感覚になります。夏の強い日差しも完全に遮られて、汗ばんだ体の熱も下がっていきます。
いつまでも離れたくない。太陽が照りつける日はますますそんな気持ちになるはずです。私も誰も人がいないのを良いことに、しばらくこの木の元で涼んでしまいました。

歴史あるお寺に纏わるお話1、徳川家との関係
徳川吉宗といえば、江戸幕府第8代将軍。江戸時代の名君の一人とされていますが、その吉宗の病が治ることを祈願したことから、徳川将軍家の祈願所となったそうです。
当時の人々にとって「祈願」は「神仏との契約」。その行為は現代よりずっと真摯に捉えられていたと思います。契約なので、何か大きな物事を叶えてもらうほど、大きな対価が必要になります。(五円で自分の人生から世界の平和まで願ってしまうなんて、論外だったんだろうな、と思いつつ、「契約」であれば、それが履行されなければ対価は必要なし!?ともいえるのかもしれませんが…。)
それだけ、祈願が真剣に考えられていた時代に「徳川家」の祈願所となるということは大きな意味があったはずで、それだけお寺も栄えただろうと想像されます。
けれども確認してみると、その病気平癒が祈願された年に吉宗は亡くなっているので、願いは成就しなかったと言えるのかもしれません。(吉宗の死因は再発性脳卒中と言われているようで、祈願をしても完治は難しかったでしょう…。)
歴史あるお寺に纏わるお話2、山中幸盛との関係
本満寺には山中幸盛(通称:鹿介)のお墓があります。
山中幸盛は戦国時代、尼子家に仕えた武将です。「三日月よ、我に七難八苦を与えたまえ」の言葉が知られています。
生涯を主君(尼子家)に尽くした忠義の武将として人気があり、あのふなっしーもリスペクトしているようです。美男子だったといわれ(諸説あるようですが)女性ファンも引き付けています。
人気の理由はこの忠義だけでなく、それが報われなかった悲運というのもあるのでしょう。私も判官贔屓派なので、ちょっと心惹かれてしまいます。(ハンサムだったということならより心ときめきます。)
父親が早世したため、生活は苦しく、母親一人の手で育てられますが、幼少より武芸に秀で、8歳で敵を討ち、13歳で敵の首を取ったと言われています。けれど、その仕えていた尼子家は徐所に衰退し、終には滅亡してしまいます。
その頃まだ20過ぎだった幸盛。そんな状況でも尼子家への忠義を貫き、三度に渡って尼子家の再興を試みたものの、最後は毛利の刺客により謀殺され、34歳の生涯を終えます。
本満寺のこのお墓は幸盛の子孫により建立されたそうです。京都にはこの本満寺以外にも、大徳寺玉林院に金戒光明寺に幸盛のお墓があります。
そんな歴史も秘めた本満寺。でも何より、境内に立つ桜の木に是非、会いに行ってみて下さい。
桜の季節はもちろんですが、緑の葉が茂る季節も、憩いの一時を提供してくれる素敵な場所であること、間違いありません!
出入りも自由です。
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