痛みを抱える際には訪れたい、地元民にも愛されるお寺、石像寺。
- tripampersand
- 2016年7月29日
- 読了時間: 4分

この石像寺(しゃくぞうじ)は弘法大師によって開かれたといわれる浄土宗のお寺です。
宗派に詳しい方はあれ?と思われたかもしれません。そう、弘法大師の時代には浄土宗はありませんでした。元々は真言宗だったそうです。
弘法大師が開いたと伝えられているだけでなく、大師が掘ったといわれる井戸も残っています。今も水が沸いています。

それだけではありません。私でも知っている鎌倉初期の歌人、藤原定家が住んだところとも言われていて、その墓と伝えられているものもあるそうです。
やっぱりここも歴史あるお寺です。
ただこのお寺、そんな歴史の風格というよりは、地域に根付いたお寺だと感じさせられます。私が訪れた際も、一人、一心にお経を唱える方や、熱心にお参りされている方がいらっしゃいました。その一方で、ベンチに座って電話をかけているひとや、お堂に上がって(東屋のようになっていました)お弁当を広げる人もいたりして、人々の暮らしに溶け込んでいる様子が伝わってきました。
お地蔵さんと地蔵菩薩は同じだけど別でした
このお寺は釘抜地蔵とも呼ばれるのですが、ご本尊が諸々の苦しみを抜き取って下さるというお地蔵様です。このお地蔵様は石像ですが、一つの石から彫り出されたものとしては日本最古と言われているそうです。そんなお地蔵様をとっても間近でお参りすることができます。
そもそもお地蔵さんというと、道路の端にあったりするんじゃないの?とちょっと混乱したりしていたんですが。民間信仰の道祖神という道端や村の境界に祀られていた守り神と仏教が結びついていったということで、なんだかややこしい感じに思えるようです。
仏教でのお地蔵さんは地蔵菩薩。名前の由来はサンスクリット語の「クシティ(大地)・ガルバ(胎内・子宮)」の意訳だそうです。
私の住んでいる地域でも地蔵盆というお祭りが夏に行われていることを引っ越してきて知りましたが、お坊さんが来られて、お地蔵さんの前でお経をあげられていたんです。「菩薩」と結びつければ当然なんですが、なんだかピンと来ていないところがありました。神仏混合が染みついているので、よくわからないけど、受け入れていることが日常の中にたくさんあるように思います。
この地蔵菩薩、お地蔵さん、取り敢えず手を合わせてなんでもお願いしてしまう最も身近な菩薩ですが、大役を務められています。
お釈迦様が亡くなった世界に次の仏さま、弥勒菩薩が現れるのは56億7千万年後ということで、それまでの間、この世に生きるものを救うのが地蔵菩薩だそうです。次の仏様が現れるころに果たして地球は存在しているんでしょうか・・・。ということで、お地蔵さんに色々お願いしているのは間違いじゃありませんでした!
釘抜地蔵と呼ばれる理由
室町時代、両手の痛みに悩まされていたある商人。どんな治療を試しても効果がなかったので、石像寺の地蔵菩薩に願掛けをしたところ、夢の中にお地蔵様が現れて「苦しみの原因は前世で人を恨み、呪いの人形の手に釘を打ち込んだせいだ」と告げて、その打ち込まれた釘を抜いて見せました。夢から覚めるとすっかり痛みが消えていて、石像寺に参拝すると、地蔵菩薩の前に血に染まった2本の釘が置かれていました。それ以来、「釘抜地蔵」と言われ、体や心の痛みを取り除くための願掛けに人々が訪れるようになったそうです。
願いが成就したときは、釘と釘抜きがついた絵馬を奉納するのが習わしということで、本堂の壁にはぎっしりと絵馬が並んでいました。

また境内には立派な釘抜きの像が祀られていて、門の手前にも大きな釘と釘抜きがありました。ちょうどその釘抜きを撫でている方と出会いました。人々の強い思いに磨かれて、表面は滑らかです。

もちろん、歴史的にも貴重なお寺ではあるのでしょうが、それよりも、お寺の本来の意味や私たちの生活とのつながりを教えてくれる場所でした。
将来痛みに悩んだときは、まずここを訪れようと思いました。これだけ短時間に本当に熱心にお参りする方に何人かと出会ったので、ご利益は確かにありそうです。
その帰り道。お寺を出てすぐ左手にある蒸しまん&カフェまんまん堂で蒸しまんを買って帰りました。5種類くらいあってどれも100円(消費税込み!)。本格的ながら優しい味でとても美味しかったです。これからはコンビニじゃなくて、ここに買いにこようと思いました。蒸しまん好きの方はお参りの帰り道に、お試しください!(社会福祉法人京都ワークスの運営で堀川通りにも店舗があります。)
Comments