Trip Ampersand
オーストリア・スロヴァキア・ハンガリーの旅
旅行期間:2012年9月 7泊8日
旅のキーワード:カフェ、美術館、ドナウ川下り、古城ホテル、建築
1日目:成田→ヘルシンキ→ウィーン
2日目:ウィーン
3日目:ウィーン
6日目:ブラチスラヴァ→ブダペスト
7日目:ブダペスト
8日目:ブダペスト→成田
オーストリア・スロヴァキア・ハンガリー旅行1日目 成田 → ヘルシンキ → ウィーン

出だしから躓くところだった。
余裕をもって家を出たはずが、空港行きのバスに乗ったのは、発車一分前。
冷や汗かきながら成田空港に到着すると、タレントの出川哲郎が普通に、いや普通以上に寛ぎながらロビーに座っていた。
やはりお笑い芸人続けるにはあれくらい周囲を気にしない大胆さが必要なのか、続けるうちに養われたのか、何れにしろ、ちょっと彼を見直してしまった。
計らずも家族旅行となった今回の旅がどうなるのか、ワクワクしながらゲートへ向かう。
家族旅行といっても、経由地のフィンランドまでは1人。母と妹とは乗り継ぎ便で合流予定、もう一人の妹は現地に前乗りすることになっている。
旅への期待に胸を膨らませているのはみんな同じ。搭乗すると、早速窓から写真を撮っている人がいた。そこではっと気がつく。
カメラを持ってきていない!
忘れたのがパスポートじゃなくてよかったと、自分に言い聞かせる。
ヘルシンキでは乗り換えながら、EU圏に入るということで、入国手続きが必要だった。
列に並んでいると、偶然、その前方に母と妹の姿を発見。無事に合流してやれやれ一息、と思った矢先、母が慌て出した。機内に図書館で借りた本を忘れたという。
入国手続き後、空港内のほぼ反対側に来ていた私たち。荷物を引っ掻き回し、憔悴した母を残し、利用したフィンエアーのカウンターを探し回る。
やっと見つけたカウンターには長い列。順番を待ち、どうにかカウンターのおばさん、元いお姉さんに訴えると、日本人スタッフと連絡を取って、忘れ物の中から見つけ出してくれた。
反対側のターミナルから遥々持って来てくれたのは、爽やかなイケメンのお兄さん。
ありがとうございますっ!
いや、あの、でも忘れたのは私じゃないんで…。
その後、フライトは至って順調で、予定時刻通りウィーンへ到着。
空港からはSバーンと地下鉄を使って本日の宿へ向かう。地下鉄の乗り換えで迷ったものの、前乗りしていた妹が駅まで来てくれたので、宿まではスムーズにたどり着いた。
その宿はとても古そうなアパートの一室だった。やはり古いせいかドアの鍵を開けるのに手こずる。今日のミッションでもっとも難易度が高く、もう開かないんじゃないかと思い始めた頃にようやく開いた。(その後も鍵の開け閉めは一苦労だった。)
室内は綺麗にリノベーションされていて、明るく清潔。駅から近いけれど、街の中心部からは離れているので、外も静か。キッチンのカウンターや備え付けの棚の位置が高すぎる(棚の上の段には手が届かない。カウンターによじ登ろうとするも、簡単には登れない高さだった。)、という問題はあったけれど、日本人仕様ではないので仕方ないか。
こうして異国の地で家族が揃うというのは不思議な気分。
賑やかな旅になりそうな予感がした。
オーストリア・スロヴァキア・ハンガリー旅行2日目 ウィーン
朝からウィーン最大の市場、ナッシュマルクトへ向かう。腹ごしらえを兼ねて市場をブラブラ。こんなものまで、とびっくりするようなガラクタから立派な中国の壺までごちゃごちゃと売っている。
ダンボールに山盛りされたバイオリンはさすが音楽の街ならではの光景だったけれど、大学時代、4千円で購入したと言われている学校の楽器を、みんなで大切に使っていたことを思い出し、ここでの扱いの違いに、些か胸が痛んだ。
ハリネズミ好きの妹が最後まで買うのを悩んでいたのが金属製の置物。5匹のハリネズミを重ねることができる。持ち歩くには重過ぎると泣く泣く諦めた。
神戸の雑貨屋さんでそのレプリカと思われるものが、3倍の値段で売られているのをたまたま見つけて悔しがったというのは後日の話。

野菜から果物、肉、魚やチーズなど食べ物も豊富に売られている。その中でも肉屋で買ったサンドが最高だった。
英語は通じなくとも心は通じる。
「サービスしとくわ」という笑顔と共に、肉屋のおばちゃんはたぷりと肉を挟んだパンを手渡してくれた。これで2ユーロ。近くにあったら毎日通いたい。

トルコ系と思われる人々が出す店も多く、食材にエキゾチックな香りが混じっていた。その一軒でチーズを詰めたアーティチョークのピクルスを買って、道端で齧る。癖のあるチーズとピクルスの酸味が合わさって、見た目の繊細さとは異なる面白い味だった。他にも地味に手間が掛かっていそうなチーズをつめたオリーブが何種類も売っていた。

市場を散策するついでに楽しめるのが、マジョリカハウス。
1899年に完成した美しいバラ模様の外壁をもつオットー・ヴァーグナー作の住宅は、現在も一般の住居として使用されている。その内部のエレベーターも見事だということで、中を見られないのが残念だと妹が嘆く。美しい外観だけでもとカメラを向けているのは私たちくらいで、街に溶け込んで建っているせいか、目を留めている人はほとんどいない。

市場で楽しみすぎて、気が付けば時刻は昼前。
取り敢えず、マーケットへ来ることしか考えていなかった私たちは慌てて次の計画を練る。
やはりシェーンブルン宮殿を見ておこうと話がまとまり、地下鉄で向かう。ピークシーズンは過ぎているはずなのに凄い人。チケットを買う段になって、更に驚かされる。
次に参加できるガイドツアーは2時間後。ガイドなしでも1時間半は待たなければ入れないという。太陽はちょうど頭上にあって、宮殿周囲の立派な庭園を歩き回るのも気が進まない。貴重なウィーン滞在時間を無駄にはできないと、その日最後のツアーに申し込んで一旦街まで戻ることにする。計画性がないのはいつものこと。
短い時間の中で目指したのはグスタフ・クリムトの壁画「ベートーベン・フェリース」が展示されているセセッシオン。金色のキャベツと呼ばれる建物の上部に配されたドームは炎天下では眩しすぎるほどだった。

1902年に製作されたこの壁画は、ベートーベンの交響曲第9番をモチーフにしたもので、地下の個室をぐるっと取り囲むように6つのテーマが並んでいる。
当初は展示会の後、廃棄される運命だったと聞くと、尚更、今、こうして目にしていることが感慨深い。ファンタジックな世界の中に、人間の愚かさと醜さと美しさと逞しさが拡がっていて、「歓喜の歌」を聞きたくなる。合唱経験のある母が小声で歌い出す。母の場合、小声が小声に聞こえないという問題が・・・。そもそもあれはホールで大合唱に包まれてこそ、その醍醐味がわかる曲じゃないだろうか。
壁画を堪能し終わるともうすっかり昼は過ぎ、ティータイムの時間だったので、美術館近くのカフェ、その名も「cafe museum」へ行ってみる。それぞれ好きなものを注文し、一口ずつ分け合う。どれも甘すぎず、くどすぎず、疲れた体に染み渡る美味しさ。すっかりウィーンのスイーツの虜になった。



その後、再び電車に乗って、シェーンブルン宮殿まで戻り、ガイドツアーに参加した。
ツアーなしでも廻れるけれど、ちょっとしたこぼれ話が聞けたりするのがツアーの醍醐味。ただ、英語のジョークが全くわからないのが悲しい。そこは日本人お得意の愛想笑いでごまかしながら、皆さんに付いて行く。
行く部屋行く部屋絢爛豪華。ハプスブルク家の当時の繁栄っぷりをこれでもか、と見せ付けられる。
その一方で、その力を保つために繰り返された近親間の結婚は、彼らの容貌をどんどん醜くしていったという。もちろん、肖像画にはきれいに着飾った気品ある紳士淑女しか登場しないけれど。
自殺や暗殺といった多くの暗い死、権力を維持する道具としての政略結婚、華々しいからこそ陰の部分もより深い。表舞台の裏側に、より思いを馳せてしまう2時間だった。
もっとも最後の方は暑いし、疲れるし、意識もぼんやりして、ろくに説明を聞いていなかった。ピークシーズンは押し寄せる人々のせいで室内は40度を超え、汗のせいで部屋の湿度が上昇し、また汗が蒸発したあとの塩で調度品が相当傷んだ部屋もあったというから、これで不満を述べるのは罰当たりかもしれない。真夏に行くのなら、覚悟が必要。

宮殿の前に広がる庭園も、宮殿に負けず劣らず、手入れの行き届いた素晴らしいものだった。傾く日差しの中、うっとりその景色を見つめるだけで、何時間でも座っていられそうな気がする。あまりの魅力に夢見心地・・・あ、これはもしかして時差ぼけ?

重い腰を上げて街まで戻ると、すっかり暗くなっていた。
街でもっとも賑わっているケルントナー通りから少し入ったところにあるウィーン料理のレストラン、ミュラーバイスルで夕食にすることに決めた。この辺りは観光客も少なく、落ち着いた雰囲気。
暖かくライトアップされた居心地良さそうな店内は無人。それに比べて薄暗く、当然ながら何の調度品もないテラス席。しかし数組が外でワイン片手に談笑している。
郷に入っては郷に従え。
私たちも店の外に設けられた席に腰を下ろす。
「日本語メニューありますよ」
さすが観光地。手渡されたメニューを散々眺め、スープと前菜から一品ずつ、メインを2品選んで四人でシェアすることにする。本来なら、これで一人分のコースかも。
スープはレバー団子が入ったレバークネーデルを選んだ。レバー好き(私)にはたまらない!しっかりレバーの旨みを味わえるのに臭みはなくて、レバーが苦手な妹も大丈夫な様子。取り分けるほどの量はなかったので、4人でこっそり回し飲み。淑女にあるまじき振る舞いは誰にも見られていないはず!?
それから、アスパラガスのグラタン。グラタンといっても野菜のオーブン焼きホワイトソースかけ、といった感じでとても上品な仕上がりだった。名前から日本でお馴染みの「グラタン」を想像してオーダーした妹はちょっと残念そう。
メインにはウィーンのカツレツ、シュニッツェルとシチューを選ぶ。サクサクとしたカツは軽くて食べやすい。シチューは濃厚で、添えのポテトに濃くのあるソースがよく合う。


食事に満足し、ちょっぴり入ったアルコールのせいもあって浮かれた気分でケルントナー通りを下る。駅へ向かう途中、何やら人だかりに出くわした。
ちょうど国立オペラ座の前。壁面に大きなスクリーンが備え付けられていて、中で上映中のオペラをライブ中継している。スクリーン前には椅子も並べられていて、無料でオペラ鑑賞が可能という何とも粋な計らい。
ワインの酔いも手伝って、夜のウィーンの街が殊更幻想的に、美しく見えた。
オーストリア・スロヴァキア・ハンガリー旅行3日目 ウィーン
まず、本日初めの予定。洗濯。
アパートに泊まる利点は色々あるけれど、こうして洗濯機が付いていることもその一つ。
ただ、日本とは異なる仕様。昨晩、試行錯誤して電源の入れ方は分かっていたので(そこにたどり着くまでに手間取り過ぎて、そこで力尽きていた)、取り敢えずスタートさせてみたものの、水がほとんど注入されない。超エコ洗濯。
脱水が終わった後に取り出すと、全体が湿っぽくはなっていたから洗剤は満遍なくまぶされはず。液体洗剤でよかった…。
今日の午後はオペラ鑑賞の予定。洗濯をしている間にインターネットで購入した際のチケット控えを今更ながら確認していると、少なくとも開演30分前には受け取ること、他の幾つかの劇場でも事前にピックアップ可能などと書いてある。今、初めて気がついた!
だったら、先に取りに行っとくべきなんじゃない?

急遽、準備が整わない妹2人を残し、母と二人でチケットを入手しに行くことになった。
最寄のピックアップ場所がたまたまブルク劇場だったおかげで、その目の前にある市庁舎を図らずも観光できた。
日本でイメージする「市庁舎」とは比べるのも申し訳ないくらいの豪奢な建物。こんな場所で執務ができるなんて、信じられないくらい贅沢。快適さ、については定かではないけれど。
ブルク劇場自体も素晴らしい佇まいで、当時の繁栄ぶりが伝わって来る。しかもどの建物も壮麗なだけでなく、見上げても視界に入りきらないくらいの圧倒的なスケール。
劇場の前ではモーツァルトのコスチュームの男性が演奏会のチケットを売っていた。なかなかユーモアのある人物で、腕を組んでエスコート、なんて真似をしてくれたので、私も少々付き合ってみる。残念ながら本日は既に予約あり。
劇場内のチケットブースでは職員が手馴れた様子でチケットを発券してくれる。
音楽も立派な観光産業だけあって、システムがよく整備されている。ちょうどチケットを受け取ったところで、重厚なドアが開いて妹達が顔をのぞかせた。
ブルク劇場にはクリムトが描いた天井があり、是非見たい!と妹が言う。係りの人に聞いてみるも、ツアーでしか見られず、しかもその英語ツアーは3時からだということで諦めることにした。訛りが強くて何を言っているのか私は全くわからなかったのに、たぶんそう言ったと妹は主張。さすが、必死さが違う。

それから美術史博物館へと向うため、トラムに乗った。
どうぞ座ったら、と席を詰めてくれる乗客。地下鉄に乗っていても地図を広げれば、どこで降りるの?次の駅だよ、と親切に教えてくれるたりする。そんな素敵な人々と出会って、ウィーンの街をまた一つ好きになる。
美術史博物館は予想していたものの、広大だった。とても半日で見られる量ではない展示品の数々。中でもやはり一番印象的だったのが、正面階段を上ったところ、壁面に描かれたクリムトの作品。美しく、どこか物憂げな女性達がアーチを囲んでいる。
もちろんそれ以外にも、ブリューゲルの「雪中の狩人」やベラスケスの「青いドレスのマルガリータ王女」やフェルメールの「絵画芸術」など、超有名作品が展示されている。
足早に絵画作品を見て回っただけで時間切れ。エジプト、古代ギリシアのコレクションなど、そのコーナーに足を踏み入れることさえできなかった。
本日のオペラ鑑賞予定はフォルクスオーパ。開演時間が4時半だったので、それまでに大急ぎで昼食を済ませるべく、地下鉄の駅へ向かう。公共交通網が整っているので有難い。パスを買ってしまえば支払いの煩わしさもなくなる。改札もないから乗り降りもとてもスムーズ。
昼食に選んだのはパラチンケンプファンドル。
ウィーン料理でクレープの一種だというが、日本の、あの上品に巻いたもの仲間とは思えない。食事系のパラチンケンは焼いたり、揚げたり、結構こってり。フライパンに載せられ熱々で出される。
スイーツ系は溢れるくらいジャムが挟まり、食べきれない量のホイップが添えられてずっしり。美味しいけど、一人前完食は間違いなく不可能なボリューム。私たちにとっては・・・・・・。
場所がわかりにくく、予想以上に時間がかかって、たどり着くまでには一悶着もあったけれど、取り敢えず食事が出てくると自然と笑顔もこぼれた。空腹と疲労はろくな結果につながらないと復習する。



ランチを食べ終えた後は小走りで駅に戻り、メトロに乗ってオペラ鑑賞へ向かう。間に合うかどうかぎりぎりで、嫌な汗が流れる。
駅に降り立つと、ドレスアップしたカップルや家族連れの姿が見られた。どうやら目的地は同じ。間に合ったようだ。
今回、チケットを取ったフォルクスオーパはフォルクス(民衆の)の名のとおり、気軽にオペラを楽しめる場所として親しまれている様子。意外と子どもの姿も多い。服装もメイクもばっちりの方から足元はスニーカーの人まで思い思い。日本人はあまり見かけず、トイレで並んでいると、「もしかして日本の方ですか」と上品な日本人に嬉しそうに話しかけられたくらいだった。

さて、肝心の初海外オペラはと言うと。
正直なところ、音楽を聴きに着て苦痛を感じたのは、記憶にある限り初めてのことだった。
時差ぼけと、旅の疲れと、どうにか開演に間に合わなければというプレッシャー。
その上今は、全くわからないドイツ語に晒されている。あらすじに目を通していたものの、現在、どの場面まで進んだのかもよくわからない。もっと、煌びやかな衣装とか、派手なセットでもあれば良かったのに、と現代的でシンプルな演出にも文句を言いたくなってくる。(完全な逆恨み。舞台は素晴らしかったはず・・・。)
眠りに落ちないように無理矢理意識を引き上げる努力を続けた結果、第二幕目くらいからは極度のストレスで、もう今すぐ席を立って出て行こうと何度も考えた。精神が高ぶりすぎて眠ってやり過ごすこともできず、途中で立ち上がる勇気もなく、カーテンコール時に残ったのは、燃え尽き感と苦い教訓。よくばりは禁物。そもそもタイトな日程に、特別に観たいプログラムもやっていなかったのにどうしてもオペラ鑑賞をしたい!と言い出したのは私自身・・・・。
実態はどうであれ、本場でオペラ、その雰囲気は体験した。後は疲れ切った心と体を休めたい。でもその前に夕食、と宿の近くのレストランへ向かったが、目指した店のドアには1枚の張り紙。
工事のため移転して営業します。
ショックを隠しきれずに暫し佇む私たち。
気合を入れ直して、1ブロック先の暗がりに浮かび上がる明かりまで行ってみると、アイスクリームカフェだった。見事にアイスクリームしかない上に、もう閉店するという。
うろうろしているうちに辺りは真っ暗。
結局、確実な方法を取ることになった。つまり、昼に食事をした賑やかな街中まで戻ること。
この旅初めてバスに乗る(メトロは毎回のように、トラムは午前中に乗ったから、これで公共交通機関は制覇!)。
疲れすぎて食欲はなかったけれど、たまたま通りかかったレストランはなかなかの盛況ぶりで心引かれる。
調べてみるとウィーンで最古のバイスルだった。案内された席は穴倉のような造り。低い天井は壁から一体となって続いていて、そこへびっしりとサインが並んでいる。
注文を待っている間、突然がやがやと店の人に連れられた男女がやってきた。何事かと思ってみていると、店員がさっと長い棒をつかみ、天井の一角を指し始めた。
「これが、モーツァルトのサインです。そして、こっちがベートーベン。あっちはシラーで、それから・・・・・・」
店員の説明は澱みなく進む。

モーツァルトにベートーベン。そんな彼らが滞在したことのある空間にこうして座っている私達。偶然、たまたまでとってもラッキー。この狭い空間で今晩食事が出来たのは私達4組。なんて幸運!とテンション上がったのも束の間。注文した料理が全く出てこない。途中寝そうになりながら40分は待つ。温厚な日本人でもたまには怒る。
「さっきもすぐ来るって言いながら、なかなか注文取りに来なかったですよね!一体、あとどれくらいかかるんですかっ!」
ウェイターを捕まえて詰め寄ると、
「すぐ、もうすぐ来ますってば。ね、そんな怒らないで下さいよぉ。今日は、団体客が入ってて、こっちもいっぱいいっぱいなんですっ」
逆に泣き言を言われる始末。
空腹と眠気がピークになった頃、料理が運ばれてきた。例の軽薄なウェイターはあの後寄り付かなくなった。代わりに顔に疲労が見られるものの、物腰丁寧な男性が給仕してくれる。
出された料理は、ささくれ立った私達の心をなだめるのに充分すぎるものだった。
繊細で複雑。盛り付けも味付けも絶妙なバランス。そうして私達はあっさりすっかり上機嫌になって、遅めの夕食を終えたのだった。

オーストリア・スロヴァキア・ハンガリー旅行4日目 ウィーン → メルク → デュルンシュタイン


お世話になったアパートを引き払い、ヴァッハウ渓谷へ出発の日。スーツケースは駅に預け、1泊分の荷物を持って、メルク行きの電車に乗り込む。
近代的できれいな車内。ドイツ語圏の人々はやはりきれい好き?
安心して、構内のベーカリーで買っておいた朝食用のパンを取り出す。漂う小麦の香ばしい香り。美味しいパンとスタートを切れたなら、素敵な一日を過ごせること間違いなし。
走り出して程なく、緑が視界を覆うようになった。時々、工場から煙が上っている地域を通ることもあるけれど、ほとんどが一瞬で通過してしまう小さな町で、森や丘陵を眺めているといつの間にか睡魔に襲われる。
ドイツ語の駅名が短くアナウンスされるだけなので、乗り過ごしてはいないかと不安になり始めたころ、メルクに到着した。
規模は小さいけれど、それまでの駅と違って降りる人が多い。観光に来ているのは私達だけではないと気がつく。
列車を降りた人々の流れに従って坂を下っていく。もっとも、誰もいなかったとしても、正面に町のシンボル、メルク修道院が聳え建っているので、迷子になることはない。
町といってもメインの通りは一本しかなく、1時間もあれば隈なく歩き回れる規模。賑わいがあるのは、ほんの何十メートルで、石畳の街並みは映画のセットのよう。町の歴史は古いのに、どこか作り物めいて見えるのは観光地の性として仕方のないところかも。
修道院は高台に建っているので、今度は階段を上っていかなければならない。
遠目にも修道院のイメージとはかけ離れた鮮やかな黄色が目を引いたが、近くで見ると、尚更その華やかさに圧倒される。
曇天が似合う、どこか陰湿でもの悲しげな佇まい。個人的にはそれが修道院のイメージ。これほどあっけらかんと青空の下に建っていると、調子が狂う。
内装も外観に劣らずの豪奢な造り。ここまでくると、「神秘性」を期待する方が間違っている気がしてくる。
それでも、今もずらりと古書が並ぶ図書館や、きらびやか過ぎて落ち着かない気分になるほど金装飾が施された教会内部は、流石というしかない。フランスへ嫁ぐ途中、マリーアントワネットが立ち寄ったという説明にも納得。


修道院のテラスからはメルクの町と、これから下ることになるドナウ川と、その周囲に広がる森を一望でき、気持ちの良い眺めだった。
修道院を出て町まで戻ってくるとちょうど昼過ぎで、中心部を少し外れた場所では昼休憩のためどこも店を閉めていた。観光地ながら、どうやら生活サイクルはマイペースなようで、やっと少し、この町の素顔を見られたように思った。
そして、いよいよ、旅の目的の一つでもあるドナウ川下りへと向かう。町から川沿いに歩いて20分ほどのところに船着場がある。

川面を渡る風に吹かれながらの川下り、も魅力的ではあったけれど、如何にせん天気が良すぎたので、船内のカフェテリアの先頭に陣取って、のんびりゆったり景色を楽しむことに決める。
素早い適切な判断のおかげで(私たちには珍しく)、特等席にて快適な旅を満喫。ここでは今でも川が「交通手段」であることを示すように、時折貨物の運搬船とすれ違う。このドナウ川がヨーロッパの発展を支えてきたんだという実感が沸き起こってくる。
食堂スペースの一角を陣取っていたので、さすがに、何も注文しないのは気が引ける。ということで、BITTER LEMMONを注文。レモンの飲み物ということは想像できたけれど、運ばれてきたのはボトル入りの飲料。これなら自販機で買えばよかったとがっかりしたところから一転。飲んでみると・・・何これ、おいしい!暑さで少々へばっていた体に程よい甘さと酸味が染み渡る。
母もボトルに向かってシャッターを切るほど気に入った様子だった。(その後、日本でも発売され、我が家は大興奮だった。今は・・・そういえば見かけない。)
岸辺を流れ行く景色の中に時折、顔をのぞかせるのが古城。それにまつわる逸話が船内放送される有難いサービス。ただ、日本語も含め数ヶ国語で説明されるので、日本語パートは通り過ぎてから流れてくることもある。説明だけ聞いてもう見られないとなると、余計に気になる!

古城というと、ロマンティックな響きがあるけれど、中には捕虜を閉じ込めていた城もあった。断崖絶壁に立つそこからの脱出はまず不可能で、運よく脱出できたとしても、周囲に広がるのはバラ園で、飢えて死ぬ運命が待ち構えていたという。バラは食料とならず、逃げようとする者に牙を剥くだけ。
バラは鑑賞のためだけのものかと思っていたけれど、実用性もあったとは。
とにかく棘には気をつけよう。
下車予定のデュルンシュタインまでは1時間と少し。途中、シュピッツに立ち寄ったが、乗り降りする乗客はほとんどいない。そこでは発着のため船体が360度回転し、面白い景観を楽しめた。船はクレムスまで向かうものの、私たちと同じようにデュルンシュタインで下船する観光客もそれなりにいる。
町は丘の上から広がっていて、港からは急な坂や階段を上がらなければならない。それにも関わらず、降り立ってすぐに私はこの街が好きになった。

きらきら反射する川面とその背後に広がる山の緑に囲まれて、町には穏やかな空気が流れている。
坂を上りきり、メインストリートに出たところで目に飛び込んできたのはかわいらしいパン屋。どこへ行っても素敵なパン屋に出会うと気分が浮上。
お昼はとっくに過ぎているので、品揃えはそれほどではなかったけれど、どれにしようかじっくり迷う。それが至福の一時。ちょうど遠足なのか、小学校低学年くらいの集団がやってきた。パン屋から大きなバットに入れられたパンが運び出され、一つずつ配られて行く。私たちにはお昼代わりだけど、彼らにとってはおやつといったところ。

そのメインストリートの端にあるのが本日の宿、シュロスホテル・デュルンシュタイン。
人生初の5つ星ホテル。といっても格式張ったところは全くなくて、肩の力を抜いて滞在できる。部屋の作りは流石に古城ホテルの風格があって、バスルームの白と金色とピンクのコーディネートに思わずため息がもれる。豪華なウェルカムフルーツも気分を盛り上げてくれる。そのフルーツで暫し旅の疲れを癒してから、町の散策に出かけた。

石畳が続く道の両側には土産物を売る小さな店が軒を連ねる。この地方の特産というアプリコットを使った製品も多い。ジャムはもちろん、リキュールや蜂蜜、石鹸、蝋燭、リップバームもアプリコット風味。
メインストリートといっても二百メートルほどで、車が一台通れるほどの幅しかない。あっと言う間に反対側の端までたどり着く。
眼下に広がるのはブドウ畑。それが河辺まで続き、その先のドナウ川と山々を眺めていると、数百年前、当時の人もここからこうして同じ景色を目にしていたと、確信に近い思いが浮かぶ。
背後の山の上にはリチャード王が幽閉されていたケーリンガー城跡があるはずだが、そこへ続く道の険しさに戦意喪失。
代わりに来た時とは別のルートで船着場まで下ってみることにする。

メインストリートから続く石畳の階段は蔦に覆われた壁面の隙間に細く続いていて、正面の建物の下にぼっかりと空いた穴へと消えている。下るにつれて日光が届かなくなり、ひんやりした空気と、どこか湿っぽい匂いが漂い出す。そしてトンネルを抜けると、ドナウ川。
青い空の下、吹き抜ける風の中を河に沿って歩く。何より贅沢で、平和で、幸福な一時。帰り道は当然上り坂だけれど、左手に続く何世紀も昔の崩れかかった、それでもこうして残っている城壁、その歴史に思いを馳せている間に上りきってしまった。

宿に戻ると、心地よい疲労感と共に睡魔がやって来た。豪華なベッドへ潜り込む誘惑と、食事の前にシャワーを浴びたい気持ちがせめぎ合う中、妹とじゃんけんし、シャワーの順番を決める。
シャワーヘッドもホースも金色。レトロなシャワーホルダーまでもが金。そこはかとなく漂うゴージャス感。乙女心を擽る。
そうしてさっぱりした後のベッドの中でのまどろみはもう最高!
本当に素敵な時間はその後にやって来た。
体も心もすっきりして準備万端。古城ホテルに併設されているレストランへ向かう。
チェックイン時に希望の時間を伝えていたはずなのに、人手が足りていないのか、存在感の薄い私たちに注意が向かなかったのか、入り口に立っていても、全く気に留めてもらえない。
シャワーも浴びて、一休みして、穏やかな気分だったので、大人しく待つ。
そして、しばらく経った後、ようやく係りの人がやってきた。
案内されたのはテラス席。すっかり暗くなってその全容を目にすることはできないけれど、夜空とそれより深い闇に包まれた山々と、淡い光に照らされたドナウ川を独り占め、ではなく4人占めの素晴らしいロケーション。
ただ、またしても忘れられたのか、なかなかオーダーを取りに来ない。
やっと来たウェイターはアラカルトを食べるのか、コースにするのか、なんて聞いてくる。部屋を予約した時にレストランも予約し、料金も既に引き落とされているという…。
それでも全て許せるくらい、ゆったりと夢見心地に時間が流れていく。

